インタビュー

INTERVIEW

新日本製薬株式会社 代表取締役社長CEO 後藤孝洋氏

アビスパと重ねた歩みの先に。オール福岡で描く未来。

アビスパ福岡が歩んできた30年。その節目に、長年クラブを支え続けてくださっているプレミアム・ユニフォームスポンサー、新日本製薬 株式会社の後藤孝洋社長にお話を伺いました。
クラブとの出会い、支援に込めた想い、そしてアビスパ福岡がこれから目指す未来まで。
クラブと共に歩んできた歴史と熱い想いを振り返ります。

Q.アビスパが創設30周年を迎えどのような思いをお持ちですか?

「この30年は、アビスパが福岡に存在している意義や価値を、改めて感じさせてくれる30年だったと感じています。思い返すと、20周年、25周年の節目もありましたが、その時よりも今の30周年がさらに良い状態であると思えるんです。

紆余曲折ありましたが、それを乗り越えて、福岡が誇れる素晴らしいクラブになってくれていること、クラブがその価値を最高に高めてくれていることに、心から感謝しています」

「子どもたちの未来を応援したい」

Q.最初にアビスパに関わったきっかけはどのようなものだったのでしょうか? 

「2011年から数年にわたり横浜や福岡など全国で開催されていた、子どもたちの為のチャリティーサッカースクールに共感し協賛させていただいたのがきっかけとなり、実は2011年頃に私どもからスポンサー契約をお願いしたことがありました。しかし、当時は『同業種一社ルール』があるという理由でお断りを受けることになりました。
地域に根ざした市民クラブのはずなのに・・と疑問はありましたが、当社は以前からソフトバンクホークスジュニアの支援など、地域の子どもたちを応援する活動に取り組んでおり、『いつかアビスパともご縁があれば』という想いはその後も持ち続けていました。

弊社が行う社会貢献活動は、子ども・命・美と健康という3つのテーマに沿って取り組んでいます。会社のPRのためではなく、野球やサッカーなどのスポ―ツを通しての地域貢献、クラブの理念に賛同し純粋に地元の子どもたちの未来を応援したい、という想いが根底にあります。その想いが2013年に実現し、まずはオフィシャルスポンサー契約を結んだ上で、子どもたちのサッカースクールの支援に関わらせていただくことになりました。

また、きっかけの一つとして、当社が理事を務めているカンボジア友好協会での取り組みがありました。アビスパのジュニアの選手たちが履かなくなったサッカーシューズを回収し、障がい者施設で丁寧に磨いて頂き、それをカンボジアに届ける活動を行っていました。その他、2018年まで副会長を務めていた『飲酒運転撲滅を推進する市民の会』で実施したチャリティー活動においても、監督はじめ選手の皆さまに協力していただきました。これらの取り組みを通じて、アビスパ福岡と私たちの関係がさらに深まっていきました」

Q.さらに支援を強めて下さったきっかけは?

「2015年頃、AGA(アビスパ・グローバル・アソシエイト)という支援組織が立ち上がり、榎本会長、小林会長、そして大村社長をはじめとする皆さまと共に、クラブを支える体制づくりに取り組むことになりました。スポンサー企業を募り、人を集め、多くの企業に訪問してAGAの活動趣旨をご理解いただけるようお願いしました。中にはアビスパはもう無理ではないかというようなお声もありましたが、オール福岡で組織を広げ、現組織体制でスタートしました。そうした流れの中で、私自身もより一層アビスパ福岡の魅力にどんどん引き込まれていったように思います。今では毎試合理事の皆さまと試合を応援し、得点するたび無邪気にハイタッチをしています」

クラブの苦境と背中スポンサー決断の時

 Q.思い出に残っているエピソードはありますか?

「昔は、スタジアムに観戦に行くと、まだ試合の後半にもかかわらず選手たちが戦意喪失している様に映ったり、最後まで走り抜かない姿が気になる。そう言われる理事の方も多かったですし、私自身もそのように感じていました。選手たちがもっと本気になり目の色を変え、最後まで戦い抜ける環境を整えたらより強くなるのではないか。サッカー王国の静岡や浦和は応援体制ができていますよね。まず環境を変えないと、と強く思いました」

Q.クラブの経営危機もありましたよね。

「チームの経営状態が悪化している時期からの関わりでしたので、クラブ運営をなんとか良い方向にと、2015年からさらに支援をさせていただくことになりました。当時は井原監督の時代ですね。特に印象に残っているのが、2017年プレーオフ、名古屋戦です。私も豊田スタジアムに行き、高島市長や小林会長、皆さまと応援し夢のJ1への切符をと願ったのですが、残念ながら負けてJ2が確定してしまいました。帰りの空港に移動する車中で「このままではいけない。スポンサーをつけないと、運営が厳しくなりこの先の成長は難しい」と話し合い、その場でスポンサーの打診をいただき、支援する決意を固めました。それが背中のスポンサーです。」

支援の背景には、自社と重なる想い 

Q. さらなる支援を決意された背景は?

「2013年にスポンサーとして関わり始めた当時、震災の影響もあり実は弊社も業績が低迷していた時期でした。2014年に社員一丸となって業績は回復しましたが、その間、色々な方々に支えてもらいました。苦い経験があるから今がある。この当時のアビスパ福岡の状況が弊社と重なり、いつか必ず復活し夢のJ1に行ける!という強い想いで、ユニフォームスポンサーとなる決断をしました。」

Q. クラブのJ1昇格・定着とともに、胸スポンサーとしてさらに支援されました。

「2020年に長谷部監督が就任された年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、応援する企業や個人サポーターなどクラブを取り巻く環境も非常に厳しい状況でした。 そんなシーズン大詰め、アビスパ福岡のJ1昇格が決まっていない2020年11月でしたが、弊社が東証一部に昇格する事が決まり、直後に『弊社が引き受けます』と、来季の胸スポンサーを決断し、翌シーズンから胸スポンサーを務めさせていただくことを表明しました。その後J1昇格が決まり、状況が一気に動きました。」

Q. クラブと共に歩んできた軌跡ですね。 

「胸スポンサー初年度にJ1昇格が決まり、私たちも共に証券市場におけるJ1の舞台へ上がることができた時はうれしかったですね。

実は胸スポンサーの決断をした頃は弊社も挑戦のタイミングで、今で言うプライム市場、当時、東京証券取引所第一部への昇格審査を受けていた時期でした。アビスパ福岡も、J1昇格がどうなるか分からない状況の中でしたが、12月に昇格が決まり、クラブと一緒にほぼ同じタイミングで証券市場の一番高いステージに上がれたのです。 胸スポンサーを福岡地所さまから受け継いだのも、やはり「オール福岡」で応援する事が重要だという想いからでした。「地元企業がアビスパの中心に」という熱い想いが、私たちの支援の背景には常にあります」

 忘れられない歓喜の瞬間、誇りを感じるクラブへと

Q.ここ最近のアビスパを、どのようにご覧になっていますか?

「今のアビスパ福岡をとても誇らしく思っています。金監督体制となり、戦略・戦術、チーム力、選手の人間力、一体感、勝ちへの拘り、全て良くなっていますし、課題があればそれを乗り越え、次のステップへ進もうとする力強さを感じます。たとえ負けたとしても『次には勝ってくれる、なんとかしてくれるだろう』と、そう思わせてくれるチームになりましたね。」

Q.一番思い出に残っている試合はありますか?

「ルヴァンカップの優勝を決めた国立競技場の一戦です。多くのサポーター、AGA企業の皆さまと抱き合って涙しました。 あとは2024年のホーム名古屋戦。社員とその家族270名と一緒に応援した冠試合で小田選手が試合終了間際に決めたゴール。あの試合も最後に勝って笑顔あふれる社員達とスタジアムを後にした、忘れられない思い出です。」

Q.スポンサーをして良かったと思う瞬間は?

「やはり勝った時は何より感動の瞬間です。プロスポーツは勝つことが存在意義の一つでもありますが、単純な勝ち負けだけではない価値がアビスパ福岡にはあると感じています。クラブが苦しかった時代や勝てない時代を乗り越え今がある。スポンサーになるきっかけもそうした歴史の中にあります。本当に色んなドラマが詰め込まれていると思いますし、それらを通して人々の笑顔を生み出す選手や監督、スタッフの皆さんを、弊社パーパス『美と健康の「新しい」で、笑顔あふれる毎日をつくる。』のもと、美と健康の両面でサポートできる事に感謝しています。 弊社の商品を使ってくれている選手の皆さんの話を聞く事があるのですが、その美意識の高さによく驚かされます。愛用してくれている事も本当に嬉しいですね。

また、もう一つ。私たちがカンボジアでの支援やピンクリボン運動など社会的な支援活動をしている企業であることをサポーターの皆さんにも知って頂けていることは、単なるスポンサーというだけでなく、『アビスパ福岡の自慢のスポンサー』として認めてくれるものだと思うのです。それも大きな喜びですし、最近では先頭に立って活動している『シャレン(社会連携活動)』やウクライナチャリティマッチもご一緒させていただいており、私たち自身も誇らしく思っています。」

社内にも広がる「アビスパ愛」 

Q.スポンサーになることで社内での変化はございましたか?

「社内にも多くのアビスパファンが増えました。TRUE NAVYがたくさんいます。
実際、就職活動の際に、『新日本製薬はアビスパ福岡を応援しているから』と入社を希望してくれた社員もいました。私よりもアビスパの事情に詳しい社員もいますし。試合の翌日は勝敗に関する会話が日常になっています。

さらに、毎年七夕の時期には社員が短冊に夢を書き会社のエントランスに飾る企画を行っているのですが、数年前にその短冊に書いた『ルヴァンカップ優勝』という願いが、本物の星を取ってくれました。

年に数回は社員みんなで観戦に行く企画も実施しています。2024年の七夕はキラキラした星型のうちわを持って200名近くでスタジアムに行きました。動員を増やしたいという社員の声から、貸切バスを3台用意して。車内では選手からの弊社社員に向けたメッセージ動画を流すなど、試合前から盛り上がって応援に行ったことも良い思い出です。」

サポーターと共に。そして目指すは「オール福岡」でのクラブの未来

Q.今後のアビスパやサポーターに向けてメッセージをお願いします。

『過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる』これはカナダの精神科医 エリック・バーンの言葉ですが、そう思えば未来は変わりますよね。私もその通りだと感じています。それぞれ私たち一人ひとりが、理想とする未来の姿を思い描き、アビスパ福岡とどのように関わっていくのかをサポーターの一人として考えて行動していくことが大切なのだと思います。

また、ドイツの哲学者 ハイデッガーの言葉に、『未来が過去を決定し、現在を生成する』というものがあります。例えば、今クラブはJ1に定着していますが、過去を振り返れば『あの時の出来事があったから、今がある』と考えますよね。

しかし、もし今がJ2で厳しい状況だったら過去を受け入れることは難しく、未来を描けなかったかもしれません。だからこそ今この状況があるというのはとても素敵な事だと思います。

40周年、50周年という節目の時に、過去を振り返って「あの頃はまだまだだったね」と言える未来に立っている。そしてその時にはリーグとカップでの優勝を果たし、アジアでもトップに立つことを成し遂げていて欲しい。心から願っています。」

Q.今後取り組みたいことは?

「クラブがステージを上げていく中で、オール福岡でスポンサーのステージも上げ、チームにふさわしい存在でなければならないと感じています。だからこそ、私たち自身も成長し、クラブと共に歩み続けたいと思っています。 もっと多くの地元のスポンサー企業に応援して頂きたいですし、福岡の企業が一丸となってですね。また、国内のみならず、サッカーは世界につながっています。地元からスター選手が育ち、海外クラブからオファーが届くような未来を実現したいですね。さらにはジュニアの選手がアビスパのトップチームへと昇格し、日本代表として海外で活躍する姿もぜひ見たいと思っています。」

Q.最後に、クラブの歩みを振り返って、改めて感じることは?

「長かったコロナ禍の時期。忘れてしまいがちですが、スポーツの持っている力、選手たちの試合に臨む姿勢は子どもたちに夢と感動、地域に誇りと活力を与えてくれました。パンデミックの時、私たち一人ひとりが、彼らの姿から勇気をもらったことを、絶対に忘れてはいけないと思っています。その苦しい時期を乗り越え、そこから始まったJ1定着ですから、さらに価値があると思います。金監督、選手はもちろん、川森会長、結城社長、フロントの皆さま、サポーターの皆さまに福岡に心から感謝し、これからもアビスパ福岡と共に歩んでいきたいと思っています。」