インタビュー

INTERVIEW

城後 寿

城後 寿Hisashi JOGO

フォワード

クラブ創設30周年を記念したインタビュー企画【第一弾】に登場するのは、今年で在籍21年目を迎える“キング”城後寿選手。クラブ史の3分の2を選手としてプレーする城後選手に、アビスパ福岡の過去と現在、そして未来への思いを語ってもらった。

“タイトル”が偶然じゃなかったことを示したい

「とんでもないところに来た」と感じた若手時代

―今年はクラブ創設30周年のメモリアルイヤーです。

 25周年のときも思いましたが、いろいろな方々に支えていただき、先輩方が歴史を築いてくれたからこそ、自分たちがプレー出来るということに感謝の気持ちでいっぱいです。その記念すべき年に現役選手としてプレー出来ることに幸せを感じています。

―城後選手が加入した2005年当初は、どのような思いでプレーをしていたのですか?

 プロになったばかりのころは、右も左もわからない状況でしたね。高校とはまったく違う環境で、サッカーが仕事になるという責任感を持ってプレーしなきゃいけないと思ってやっていました。しかし厳しい1年でしたね。「とんでもないところに来たな」と感じていたのを鮮明に覚えています。アレックス、ホベルト、山形恭平さん、近い年代だと(中村)北斗さんや柳楽(智和)さん、(田中)佑昌さん…みんなのプレーのレベルが高すぎて、まったくついていけなかったですね。高校とは戦術もサッカーの考え方も違って、ミスをすれば厳しく言われましたし。紅白戦にも使ってもらえませんでした。05年のシーズンオフは「もうこれで終わるんじゃないか」と本気で思っていました。

―翌年はJ1リーグで25試合に出場して4得点と出場機会が増えました。

 加入2年目の夏に川勝(良一)さんが監督に就任してから、少しずつ出場機会が増えました。川勝さんには厳しく言われることが多くて、当時は「なんで俺ばっかり言われるんだ」と思うこともありましたけど、愛情の裏返しだったことは伝わっていました。たくさん指導してもらいましたし、試合にも起用してもらいました。確かアウェイの新潟戦(第29節)だと思うんですが、自分を使わなくてもいい場面で途中出場したことがありました。川勝さんに「経験させたかった」ということを言われましたね。

―そのときコーチだった篠田善之さんが08年の途中で監督に就任しました。

 シノさんは、アニキのような存在でしたね。今の自分と同じくらいの年齢で、もう監督ですからね。シノさんには、ゴールに向かう姿勢とか気持ちのコントロールの部分を厳しく言われました。「うるさいのが監督になったな」と思っていましたけど(笑)シノさんも愛情の深い方で、今でも連絡をくれます。

―以前アビスパマガジンのインタビューで20年間で一番良い思い出として、篠田さんが監督だった2010年のJ1昇格を挙げていました。

 そのシーズンは「シノさんを漢(おとこ)にしたい」という気持ちでプレーしていましたね。シノさんが監督の年に昇格出来て良かったな、と思いました。自分自身は前十字靭帯損傷から復帰したシーズンでしたが、当時の僕のポジションだったボランチは、スエ(末吉隼也)とマチさん(中町公祐)がすごく良いパフォーマンスで定着していて、リハビリ中は「復帰しても出場機会がないかも」と思っていました。そしたらシノさんに「騙されたと思って、FWやってみろ」と言われて。本当はやりたくなかったですけど「シノさんが言うなら仕方ない」くらいでやってみたら、そこそこ活躍できたんですよね。(6月に復帰して21試合出場8得点)FWをやってみたら、ゴールを獲ることが楽しかった。それまではチャンスメイクに楽しさを感じていましたが、考えが一気に変わったシーズンでした。

Jリーグのシャーレを掲げたい

―城後選手が加入した05年のJ1昇格から、5年周期で繰り返していた昇格と降格の歴史。長谷部茂利監督の下でついに終止符を打って、21年から今年でJ1リーグ5年目を迎えます。

 信じられないですよね、J1に定着していることが。一昨年はルヴァンカップでタイトルを獲って、今やJ1リーグで上位を目指せるポジションにいると思います。タイトルを獲ったことが偶然じゃなかったということを、この数年で示すために、リーグ上位を目指して頑張りたいですし、自分もプレーで貢献したいです。

―自分自身がこのクラブで成し遂げたいことは何でしょうか。

 Jリーグのシャーレを掲げたいですね。自分が試合に出て掲げたい。ルヴァンカップは、自分がピッチに立っていなかった悔しさもありましたから。そのために、まずはケガから復帰してピッチに立たないと。ピッチに立てるのであれば、どこのポジションでもやります。

―20年間の在籍で、城後選手が変わったこと、変わらないことは何ですか?

 変わったことは、周りを見られるようになったことですかね。15年は元日本代表キャプテン(井原正巳氏/15-18年監督)からチームのキャプテンを指名していただきましたが、それはものすごく勉強になりましたし、その経験が今に活きています。年齢を重ねるごとに、立場が自分を変えてくれたと思います。

変わらないことは、自分らしさを失わないことですね。長くクラブに在籍しているということは、さまざまな監督の下でプレーすることになりますが、それぞれの監督のスタイルに合わせながらも、自分の個性を活かさないと意味がないと思っていました。自分らしさを失わないことは、ずっと変わらずに意識してきたことです。

―では未来のアビスパ福岡について。どのようなクラブを目指すべきでしょうか。

 スローガンに掲げる『感動と勝ちにこだわる』こと。そして子どもたちや地域の方々に誇りと活力を与えること。J1にいると、少し遠い存在になってしまうこともあると思うんですが、気軽に選手と話せたり、サインをもらえたり、身近に感じてもらえる存在でありたいです。ファン・サポーター、スポンサーさん、地域の方々、みんなで一緒に戦えるクラブでありたい。うまくいかないときは、時には厳しい声をかけていただいてもいいと思います。そういう言葉が選手やクラブを強くして、成長につながると思います。

―今年はアカデミーから前田一翔選手、サニブラウン アブデル ハナン選手がトップ昇格を果たしました。

 クラブが本当に強くなるためには、アカデミー出身の選手が活躍して、チームを引っ張っていくことが大事だと思います。リアルな話になりますが、J1トップクラスのチームは、アカデミーから有望な選手が出て、海外移籍でクラブにお金が入って、その資金でまたアカデミーに投資ができる循環があります。アビスパもそうなって欲しいし、彼らにはそういう使命を背負って頑張って欲しいと思っています。プロになって満足せずに、もっともっと貪欲になって欲しいですね。

―40周年のシーズンも現役を続けていますか?

 そうですね。40周年までいきますか!いや、もしかしたら社長になっているかもしれないですね(笑)。まずは復帰に向けて、焦らずにリハビリを頑張ります。このままでは辞められないですよ。

取材/新甫條利子